TSUTAYAのDISCASでDVDをレンタルして観ました。
タイトルからすると、最終作のはずなのですが、最後のマグニートーの仕草からすると、続きがあってもおかしくないかも知れません。
意外だったのは、主要な人物の再登場と退場劇でした。
まず、ジーンが生きていたというのが意外で、逆にスコットがあっさりと退場、チャールズも「えっ?」という感じで消滅してしまいました。
ストーリーですが、難しいテーマで、見方を変えてみると、個性を尊重するアメリカでこういうストーリーの作品が作られたことに少々驚きを感じました。
ミュータントの能力は、まあ、常識外れではありますが、やはり個性だと思います。
ストームが「自分には、どこも治療すべき点などない」と言った科白に、如実に現れていると思います。
とは言え、普通の人間にとって、ミュータントは脅威で、偏見と軽蔑の対象で、キュアを作った人物も、元々の動機は自分の息子をミュータントから普通の人間にしたいというものでした。
もちろん、ローグのように、自分の能力がなくなることを選ぶ権利もあるとは思いますが、それが強制されるようになるのはどうかと思います。
また、観ていてよく分からなくなったのが、X-MENは何のための存在か、ということです。
人間とミュータントの共生のために、犯罪を犯すミュータントを取り締まるのがX-MENの目指すところだったとは思いますが、では、ブラザーフッドとの闘いは、良かったのでしょうか。
キャラクターから、ブラザーフッドは悪者として描かれていましたが、自分達のアイデンティティーを脅かす「キュア」に戦いを挑むというのは、一概に悪いことだとは思いません。
それに対して、X-MENはブラザーフッドに敵対するのですが、「それって何のため?」と思えてしまいました。
X-MENの正義とは、何だったのでしょうか? 単に、人間に対して危害を加えるミュータントを排除するだけの存在、というのも変だと思うのです。
また、最後には、ウルヴァリンは、ジーンを助けると言いながら、その命を奪ってしまいます。
マグニートーにキュアを打ったように、ジーンにもキュアを打つという手もあったでしょう。
もっとも、もしジーンの能力を奪って助けたとしても、恋人であるスコット、長い間世話になったチャールズを葬ってしまった罪悪感から、ジーンは生きては行けなかっただろうとも思いますが...
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