競争を避けたい教育界と日本の将来

読んでいて、頭が痛くなりました。
Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 文科省、学力テスト結果「非公表」 悩むのイヤ…データ不受理もという記事です。
一体、何のための教育なのでしょうか。
文科省や教育委員会は、子供の将来、日本の将来を本当に考えているのでしょうか。
私は、強く違和感を感じます。

 テストや受験の実情に詳しい森上教育研究所の森上展安社長は「情報はすべて公開すべきだ。何のために全国規模の調査にしたのか。学校や先生は競争を好まないが、競争意識を持ち、学力向上につなげることが大切だ」と話している。

まったく、情けない限りです。
子供は、親だけでなく、学校の先生を見て育つのです。
学校の先生が競争意識をなくしたら、子供は競争しようと思うでしょうか。
もちろん、過度な競争は問題かも知れませんが、今の学校教育は、甘やかし過ぎです。

まず、文科省や教育委員会は、日本が国際的に置かれている状況を理解していません。

そもそも、日本は社会主義国ではなく、資本主義国であり、社会では自由競争が営まれています。例外は、一部の公務員くらいでしょう。
そして、日本には資源が乏しいため、海外から輸入した原料を日本独自の技術で加工して海外に売ることによってその差額で利益を得て、それを使って外国から食料や石油などの資源を輸入することで、社会が成り立っています。
これは、おそらく今後数十年は続くことでしょう。
最近は、漫画やアニメーション、ゲームといったコンテンツも外貨獲得の源になって来てはいますが...
いずれにしても、日本は、世界に通じる、他国より秀でた技術と能力によって、先進国でいられることができ、そこそこ豊かな生活を送ることが出来ているのです。

さて、技術や能力は、何によって生まれるかというと、一部の天賦の才を持った人はおいておいて、多くの場合は若い頃の努力や勉強によって生まれるものです。
中には、「勉強が楽しくて仕方がない」という自己完結のループでより高いレベルに行く人もいるのでしょうけど、「他人に負けたくない」という気持ちがモチベーションにつながることも少なくないと思います。
私などは、そうでした。
序列がはっきりして、自分の努力次第でより上位に行くことが出来るから、「負けたくない」「もっと良い結果を出したい」という気持ちが生まれます。
もしも結果の公表がされないなら、勝ったか負けたかも分からず、「負けず嫌い」の気持ちが生まれません。
その結果、どうなるでしょうか。

明確に「自分は将来○○になりたいから、そのために△△の勉強をするんだ」と子供の頃から強く認識していればいざしらず、そうでなければ、若い頃はいろいろと誘惑もあり、必ずしも勉強を第一には考えないでしょう。
動機付けとして、「努力によって報われる、客観的な序列」というのはきっと意味があるはずです。
そうした動機付けを失った時、若い頃に勉強しなくなること、その結果、学力を伴わずに社会に出ることになるのは、容易に想像できます。
そんな人が、企業で技術力を発揮できるでしょうか。答えは否です。

また、前述したように、そもそも、日本の社会は、競争の場です。
教育段階がどうであろうと、社会に出る時点以降、人は否応なく比較されます。
年功序列制が崩壊して成果主義になりました。
成果主義も一部は見直しされていますが、決して年功序列に戻ったわけではなく、潜在能力に注視するようになっただけで、能力主義が大きく変わることは今後ないでしょう。
営業成績、提案能力、問題解決能力、etc. 様々な点で比較され、優秀な人は昇進・昇給し、そうでない人は初任給のレベルにお情けが加わった程度の昇給しか得られません。
それでも、正社員でいられたら、まだましです。
そして、気が付くでしょう。「子供の頃は、比較なんてされなかったのに」と。
でも、その時点で頑張ろうと思っても、グローバルな競争では、もう遅いのです。

技術系の仕事、特にIT業界では、今やインドや中国へのオフショアが普通です。
理由は、人件費の安さだけではありません。
日本人で、技術力のある人を複数人探すのは、かなり困難になっています。
開発者を探してすぐに見つかるのは入社して2,3年未満の若者のことが少なくなく、上述したように、大学を出てすぐの人は使い物にならないことが多く、教育するにも時間とお金が掛かり、プロジェクトは遅々として立ち上がりません。
始めからオフショアにお願いすれば、大学でしっかり学んで来ていてすぐに一線で使えるエンジニアがごろごろ見つかります。中にはハズレもいますけど、オフショアに10人単位規模の仕事を出せば、優秀な人が3,4にはいますので、それだけで仕事が進みます。
しかも、オフショアには日本語が堪能な人がそこそこいますので、言語の違いもそれほど大きな問題にはなりません。
大卒の学力で負けていて、人件費でも負けている状況、それは、競争をなるべく避けた日本の「ゆとり教育」のせいに他なりません。

「比較されたら子供が可哀想だ」というのは、無知な親のエゴであり、子供の将来を真剣に考えたら、子供のうちから向学心や競争心を植え付けなければならないものだと思います。
「そこそこ勉強して、そこそこの大学に入れば、将来も何とかなる」なんて思っていたら、大間違いです。
韓国やインド、中国、ベトナムなどに、日本はあっと言う間に抜かれてしまいます。
と言うより、韓国にはもう、とっくに抜かれていますね。
中国にも、あと10年で、技術面で抜かれていることでしょう。
「ゆとり教育」を一刻も早く転換しないと、21世紀半ばには「第二次世界大戦後に急成長して、一時は経済大国と言われたが、今は並みの国、日本」と言われてしまうことでしょう。

格差社会がどうのこうの言う以前に、日本人の国際競争力を高めるためには何が必要なのか、教育関係者・政治家には真面目に考えて欲しいものです。

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